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気になる時事ニュース

だれか to だれか

ここ10年近くの年末年始は文春砲にて、芸能人をはじめとする誰かしらのスキャンダルで終わり始まっている。マスメディアが無敵だった80年代から約半世紀。インターネットの登場以来、新聞、ラジオ、出版と、かつての勢いがなくなり、特に出版業界に関しては、相次ぐ雑誌の休刊。そして倒産してしまう出版社も少なくない。そんな中、飛ぶ鳥を落とす勢いの週刊文春(株式会社文藝春秋)。有名人の様々なスキャンダルを中心に、2砲、3砲とスキャンダルの続編を出す手法は実に見事である。 現在、進行形で進んでいる元SMAPの中居正広の示談金9000万円のスキャンダルも文春砲に追撃をかけるようにネットニュースではいろいろと真実が明らかになりつつある。 中居出演のCMは打ち切られ、番組は差し替えられたり出演シーンは全てカットされたりとスキャンダルを認めたとばかりの動きになっている。しかしながら、テレビメディアでは渦中のフジテレビをはじめ、全ての放送局がこのスキャンダルに対してダンマリを貫いている。実に気持ちが悪い。まさに元ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川の未成年に対する性加害問題の時と全く同じである。英国の国営放送BBCのドキュメンタリーが放映され、日本のマスメディアの沈黙が世界中に知れ渡り、日本の各主要メディアは”今後は報道の責任を果たし同じ過ちをおかすことのないようにしていく”とコメントを出していたが、全テレビメディアがダンマリを通しているというありさまだ。 そんな中、爆笑問題の太田光(59)が元旦恒例の特番「新春! 爆笑ヒットパレード2025」(フジテレビ系)の生放送中に「フジテレビ、新しい番組始まるんです。タイトルが『だれかtoだれか』ギャー!」「Aプロデューサーって誰?」などと発言する一幕が。この太田光の急な発言にSNSも騒然といった状態になっていたという。筆者的にはこの太田光の発言に、故立川談志を思い出しました。以前は世の中の不平不満を笑いの中でうまく代弁する、そんな粋な落語家や芸人がいました。今となっては政治家や著名人をネタにするような芸人は有無に近く、「CMに出たい」「番組MCをやりたい」と頭の中は常に金勘定という輩が多い。 この中居正広のスキャンダル問題は、報道する立場にあるテレビ業界における悪き慣習に一石を投じるところまで踏み込めるのかが気になる。どの業界も長いことやっていると膿が必然的に溜まってくるものです。テレビオワコンと言われつつある今の時代。テレビ局が1社くらいなくなるのもよいかもしれませんね。

気になる時事ニュース

芸能人と広告には無理がある

2024年は松本人志、そして2025年1月現在では進行形で中居正広のスキャンダルが話題になりつつある。テレビ最強のマスメディア時代には、芸能人にとって都合の悪いニュースは追及しない、報道しない、と握り潰せばよかったが、インターネットが普及した今となっては「すべてなかったことにする」とは簡単にはいかないようだ。現在でもジャニーズ事務所のジャニー喜多川の未成年男子の性的虐待行為問題に触れなかったように、テレビメディアは全くもって中居正広のスキャンダルを報じない。それでも、テレビ番組からは降板になり、広告からも降ろされはじめている。 そして次に出てくるのがCMなどの契約における違約金の話。タレントの不祥事が広告主に与えるブランドイメージの賠償責任をタレントサイドがカバーするというもので、過去ベッキー、ピエール瀧、宮迫博之、中丸などの名前があげられる。 広告業界ではリスクマネジメントの課題うんたらというが、そもそも、有名芸能人をCMや広告に起用するという考えを見直すのがよいのではないだろうか。有名人を起用すれば商品が売れるという考えが、有名人を起用して議席をとるという安易な政治戦略とかぶるところが正直ある。芸能人をかばうわけではないが、芸能人は所詮、ショービジネスの世界に人間。そこに学や人間性を求めるのがそもそも間違いなのではないだろうか。表立ってのイメージはクリーンであっても、それは逆にメディアに見せている一部であり、そのイメージを作るのが彼らの仕事であり、本当の顔は別であるのが大半なのではないだろうか。それを24時間365日彼らにクリーンなイメージを求めるこに無理があるような気がする。 そもそも、海外ではCMなどに映画スターなどを起用することはほとんどなかった。ギャランティーは高いし、リスクもある、そしてハリウッドスターがCMに出るなんてといった彼らのプライドもあった。そのため一般的にCMには、CM用の無名に近い俳優や女優を起用するケースがほとんどであった。仮に彼らが何か不祥事を起こしても、無名の彼らを追及するメディアはないし、話題になることない。日本のCMも以前はそんな感じだったような気がします。バブル絶頂の80年代に入って、日本のCMにアーノルド・シュワルツネッガーをはじめ多くのハリウッドスターが出演し、アメリカ人から見ると”アメリカのCMにも出ないのに、なんで日本のCMに・・・。そんなこと絶対ありえない!”的なことがありました。当時、それに見合う出演料を払えるくらい日本経済は凄かったんだと思います。 そして最後には、CMを見る側の人間の姿勢も考える必要があるのではと感じます。有名人が出演している商品だから購入しようとか、試してみようという発想からそろそろ脱却してもよいのではないでしょうか。良い商品や良いサービスは別に有名人を起用しなくてもしっかり根付くはずです。それならあえて有名人を起用しているCMはなんか怪しい商品・怪しいサービス的な発想がもてれば、有名人を起用するといった流れに終止符を打つことができるのではないでしょうか。また広告主は高いギャラを払わなくてはならない有名人でなく、世の中の相場的なギャラにて無名の役者さんを使えるし、役者さんは仕事をもらえて、顔を売るチャンスだしっと広告代理店以外はすべて丸く収まるのではないでしょうか。 そもそも後ろめたいことを全くしない人間なんて無に等しいんですからね・・・。

連載小説ブログ「昭和56年」
小説「昭和56年」

第三回「社宅は高級住宅街」

研修期間中に、人事部から社宅の連絡が来た。  札幌の宮の森という地名。ワンルームで、〇△宮の森マンションと住所がメモされていた。 「札幌の一番の高級住宅街は、宮の森だよ」  研修中に小樽商科大出身の同期が教えてくれた。   なにっ‼ 高級住宅地!  何でほっきゃーどーなんて地の果てにと落ち込んでいた俺の頭に、一粒の光がともった。  ワンルームで、高級住宅地のマンション……。  ひょっとして俺は期待されているかも。  それが錯覚だったと気づいたのは、着任した初日に総務の先輩に社宅に連れて行かれた時だった。 「ここだよ、社宅は」  笑顔のいかした先輩だった。 「へっ……これ、マンション?」  確かに建物の入り口には「宮の森マンション」と書いてあるが、建物は木造モルタルの二階建て。しかも外壁はひび割れている。  思わず口から出てしまった。 「サッポロはね、木造アパートもみんなマンションって言うのさ」  総務の先輩が、いかした笑顔で教えてくれた。  部屋はギシギシと音を立てる階段を上った二階の奥。しかも四畳半のたったの一間!  そして驚いてしまったのは、部屋にトイレも風呂も無い!  風呂は近所の銭湯でトイレは何と共同便所だった。  地方出身の下宿の大学生じゃあるまいし、風呂桶持って銭湯!  それじゃかぐや姫の神田川じゃねーか!! やっぱり俺はイロモノ・シリーズだ。 総務の先輩は、「キミは最終面接の時、役員に寝るところがあればどこへでも行きますと言ったらしいね。北海道支店にもその話が届いて、頼もしいのが来ると評判だったよ」 そ、それはウソも方便ってやつで……。 「全国転勤があるけど、大丈夫ですか?」と聞かれたからそう返しただけです……。 そういえば、内定貰った石油関係の会社の最終面接の時、「学生時代に何をやったか」と聞かれ、 「格闘技とエッチと読書です」と答えたのを覚えている。  気を引こうとしての発言が、一瞬にして室内を凍らせた。失笑ってやつ……。ところが沢山いる役員の中で色黒のすげーオーラのある方が、笑いながら「いっぱい遊んだようだね」と切り出し、「本はどのくらい読んでるの?」と聞いてきた。 読書量だけは半端の無かったから「年間200冊くらいです」と答えた。 それから「これは読んだ?」「感想は?」といろいろと聞かれ、明確に答えたのを覚えている。 「どうやら読書量はかなりだね。ナンパのこともいろいろ聞きたいが、面白い青年だ」 結局その会社も内定を貰ったが、振り返ってみれば、自らがイロモノ・シリーズを宣伝していたようだった。

昭和オヤジの記憶

ビデオテープレコーダー登場!

今の時代に生きている若者にとってはやはり当たり前であるのだろうが、テレビ番組が録れるということは僕らの生活スタイルを大きく変えたといっても過言ではないだろう。 スマフォ主流の今の時代において、テレビ離れという言葉も出てくるが、昭和時代の人間にとってテレビは無敵のメディアであり、そして一家の中心的な存在であった。僕の幼少期はリビングにはカラーテレビ、別部屋には白黒テレビがあり、父親と見る番組が別の時には別部屋の白黒テレビにてふてくされながらテレビを見ていたのを思い出す。 当時見たいテレビ番組を見る時は、新聞のテレビ番組を常にチェックし、見たい番組の時間には自宅のテレビの前にスタンバイしていなければならなかった。毎週放送されるような連続番組は確実に頭の中にその番組スケジュールがインプットされていた。特に連続ドラマなどは、見逃してしまうと再放送がおこなわれるまで永遠に見ることができないし、ドリフターズの8時だよ全員集合!などを見逃した時は、心に大きな穴があくばかりか、翌日の学校の話題についていくことができなかった。 そして、時代は過ぎて70年代になると、ビデオデッキというテレビ番組を録画できる家電が登場したのだ!もうテレビの前にスタンばらなくても自分の好きな時間に録画した番組を見ることができるという夢のようなマシンだった。 しかし、夢のマシンはけっして安くなかった。一般庶民が手軽に買える値段ではなかったですよね〜。 我が家にビデオデッキがきたのは世の中に登場してからかなり年月が過ぎた頃。そうお手軽ではないかもしれないが、一般庶民もようやく購入できる価格に下がった頃でした。購入前に我が家ではソニー率いるベータマックスにするか、ビクター率いるVHSにするかで家族会議が開かれました。僕個人的には、小型テープのベータが気に入っていたのですが、世の中の流れにそって我が家はVHSを購入することになりました。 今のように簡単に番組予約はできず、しっかり日にち、開始時間、終了時間、そして予約チャンネルをセットしなければならず、録画できている番組を再生するとまったく撮れていなかったり、別の番組を撮ってしまっていたりといったことも多々発生したものです。 我が家の場合は父親が仕事先から電話にて母親に予約録画をお願いするケースが多かったが、母親は大の機械音痴でちゃんと予約録画をセットできる自信がなく、番組開始直前に予約ではなく直接録画ボタンを押していたりしておりました・苦笑。しかしそれでも、テレビのチャンネルは合っていても、ビデオデッキのチャンネルはあっておらず、結局全然別番組を録画していたー!ということでよく夫婦喧嘩しておりました・・・汗。 今のように見たい時にいつでも手軽に見れる時代とは大違いでしたね・・・・。

昭和オヤジの記憶

何がなんでもWALKMAN !

70年代、青春を謳歌するために、若者にとって音楽はなくてはならない存在だった。それまで音楽といえば、大型・小型のコンポやラジカセにて自宅で楽しむ存在であった。日本の邦楽はもとより、MTVやEURO MUSICなど欧米諸国のサウンドが大量に日本に入り込んできた時代でもあった。 そんな中、誕生したのがソニーから発売されたポータブルオーディオプレイヤー「ウォークマン」だ。スピーカーや録音機能などを省き、ヘッドフォンにてステレオミュージックをどこでも楽しむことができるものだった。 今となっては普通であるが、当時、手軽に家の外で音楽を楽しむということは非常に画期的であった。大きなラジカセを肩にしょって、公園や海でガンガン鳴らすというのはあったかもしれないが、好きな音楽を通勤・通学中に電車や自転車に乗りながらヘッドフォン越しに聴くというのが実にオシャレであった。とにかくヘッドフォンをつけていれば、「あっあの人音楽聴いてる!オシャレ!」といった視線を感じることができたのではないだろうか。そしてそのポータブルオーディオプレイヤーはやはり当時流行っていたデイーバック(今でいう軽量のリュック)の中にしのばせるといのがスタンダード。46分(片面23分)の音楽再生が終了すると、デイバックから取り出し、テープを裏返して続きの音楽を再生しなければならないという煩わしさが懐かしい。 そして今のようにモバイルバッテリーなどないため、常に交換用の乾電池はデイバックに入れておかなければならなかった。 さらには日課の中に、ポータブルプレイヤーで音楽を楽しむために、レンタルレコード屋でレコードを借り、自宅でテープに録音し、という習慣が付け加えられたことはいうまでもありません。 しかしながら「ソニーのウォークマンを使用している=オシャレ=モテる」という方程式の前に、そんな苦労もなんのそのといった感じでしたね。 その後、さらなる小型化・軽量化、いちいちテープを裏返さなくてもヘッドが自動的に回転するオートリバース機能やカップルで楽しめるように2つのヘッドフォンジャックを備えるようになったりと、ウォークマンはどんどん進化していきました。 無論、見た目ウォークマンのような偽物のバッタものをはじめ、他のメーカーからも様々なポータブルオーディオプレイヤーが登場してきましたよね。ちなみに僕はAIWAから販売されたカセットボーイを当時購入しました。その理由は、ポータブルでありながら「録音」もできるというのが理由。結構気に入って使っていました。 そして中にはデイバックからヘッドフォンのケーブルを出し一見音楽を聴いているように見えるのだが、実はヘッドフォンジャックはバックに入っているだけという、強者もおりましたよね・笑。そう、みんなモテたかったんですよねー。 僕の場合、モテたとかはさておき、お陰様で多くの洋楽を学び楽しむことができました。ポータブルオーディオプレイヤーがなかったら、邦楽しか聞いてなかったと思います・・・苦笑。

連載小説ブログ「昭和56年」
小説「昭和56年」

第二回「ほっきゃーどー!?」

全国転勤がありと聞いてはいたが、何と最初の赴任地は北海道だった。 入社式が済むと、最初の赴任地が発表された。同期の半数近くが本社のいろんな各部門で、残りの多くは地域の母店と言われる支店勤務だ。そしてこの俺は、支店の下にぶら下がる「営業所」配属だった。 入社後、損保マンとして本社に勤務し、週末は六本木で遊びまくるという俺の人生設計がもろくも崩れ去った瞬間だった。   俺は自慢じゃないが東京は文京区生まれの文京育ち。但し江戸っ子では無い。江戸っ子の基準は、親子三代神田・日本橋界隈で生まれ育つことが必須と言われている。 三菱地所やら大手デベロッパーが再開発競争をしているから、人の住むところはどんどん無くなり、江戸っ子は将来死語になるだろうな。 高校時代が第二次ディスコブームで、  俺は先輩たちに連れられて、赤坂のMUGENに毎土曜繰り出していた。  懐かしい~!  東京のやんちゃな小僧たちのディスコ・デビューは、こぞって池袋・新宿と決まっていたから、俺は同級生たちに、 「へえ~池袋で踊ってんだ」 「おまえは新宿か?」 「いや、MUGEN」 「新宿にMUGENって、あったっけ?」 「いや、赤坂さ」  この「赤坂さ」という時は、思い切り上から目線で、射貫くように言ったのを覚えている。 「あ か さ か……」こ、こいつ凄いと、口をポカーンと開いていたっけ。    そんな時代の最先端を行っていた俺が、ほっきゃーどー勤務! とは。  ディスコ、あるのかよ?  俺は高校時代の友人にテルした。  こいつは頑張って六大学に入り、応援団の団長までなった男だから、質実剛健を絵に描いた男で、高校時代のチャラ男代表のような俺と仲良かったのが不明なのだが。  昭和の歴史を遡れば遡るほど大学の応援団の厳しさったら半端ない。  かくいう俺の友人も今だから話せる逸話を持っていた。  あいつが一年生の頃だ。六大学野球で、応援団員は一回から試合が終わるまで、ひたすら応援でトイレには行けないそうだ。いわゆるトイレ等の私用は団体活動では禁止らしい。  友人の大学は延長の末、相手校に敗れ神宮球場の外で正座させられていた。クソ暑い最中、学ランを着て革靴に正座。しかも顔中にびっしりと汗をかいている。  試合の後、久々に飯を食う約束をしていた俺は、エン団ってたまんねーな、と思いずっと見ていた。  やっと解散になり、俺を見つけた友人は一目散に走って来た。 「お疲れ……」と口を開いた途端、俺は息を瞬時に止めた。  友人の全身からうんこの臭いが強烈に漂ったからだ。 「悪い、どこかでジーパンとTシャツ買って来てくれ」  そいつ曰く、七回までなんとかしのいだが、とうとう我慢できずに応援しながら垂れ流した状態で声を張り上げていそうだ。    そんな臭い関係だから、奴は俺のことをずっと感謝していた。  また奇遇なことに、そいつの勤務先は北海道拓殖銀行だった。 「就職、決まったよ」 「どこだよ」 「ほくたくって、知ってる?」 「それ銀行じゃねーか」   どうやら部活の顧問が就職先を斡旋しているようで、団長以下四年生連中は、就職活動も一切せずに大手企業の内定を貰っていた。  そりゃまあ、うんこしたズボンで正座もしちゃうくらいの環境に耐えているのだから、そういう忍耐力を評価するのは当たり前なのだろう。  だから四年生連中は「おまえは〇△会社」「おまえはここ」って感じで、好みも志望も関係なく決められるそうだ。  かくゆう俺のうんこ友達も「ほくたく」と言われ、何をやってる会社かも知らずに、 「押忍!」の一言で人生をきめちゃうのであった。 「どうよ、サッポロは?」  そいつは三月の中旬に北海道に行き、一週間研修を受け、既に支店に配属されていた。 「観光なんてしている暇ないよ。覚えること多くて」  朝八時前に出社し、長靴を履き支店の前の雪かきがスタートだそうだ。そして閉店後は残業し、寮に帰るのは深夜というパターン。 「俺も赴任地が札幌なんよ」 「そうか、奇遇だな。赴任したら飯食べよう」  うんこ友達は嬉しそうに話した。きっと既にホームシックかもしれない。 「ところで、すすき野って凄いのか? ディスコはあるのか?」 俺の頭の中には、ネオンきらめく行ったことも無いすすきのが広がっていた。 「おまえ、遊びに来るのか?」  やっぱこいつは、規律正しい応援団のうんこだ。会話に余裕が無い。  ふん、俺はやはりイロモノだな。