
第二回「ほっきゃーどー!?」
全国転勤がありと聞いてはいたが、何と最初の赴任地は北海道だった。
入社式が済むと、最初の赴任地が発表された。同期の半数近くが本社のいろんな各部門で、残りの多くは地域の母店と言われる支店勤務だ。そしてこの俺は、支店の下にぶら下がる「営業所」配属だった。
入社後、損保マンとして本社に勤務し、週末は六本木で遊びまくるという俺の人生設計がもろくも崩れ去った瞬間だった。
俺は自慢じゃないが東京は文京区生まれの文京育ち。但し江戸っ子では無い。江戸っ子の基準は、親子三代神田・日本橋界隈で生まれ育つことが必須と言われている。
三菱地所やら大手デベロッパーが再開発競争をしているから、人の住むところはどんどん無くなり、江戸っ子は将来死語になるだろうな。
高校時代が第二次ディスコブームで、
俺は先輩たちに連れられて、赤坂のMUGENに毎土曜繰り出していた。
懐かしい~!
東京のやんちゃな小僧たちのディスコ・デビューは、こぞって池袋・新宿と決まっていたから、俺は同級生たちに、
「へえ~池袋で踊ってんだ」
「おまえは新宿か?」
「いや、MUGEN」
「新宿にMUGENって、あったっけ?」
「いや、赤坂さ」
この「赤坂さ」という時は、思い切り上から目線で、射貫くように言ったのを覚えている。
「あ か さ か……」こ、こいつ凄いと、口をポカーンと開いていたっけ。
そんな時代の最先端を行っていた俺が、ほっきゃーどー勤務! とは。
ディスコ、あるのかよ?
俺は高校時代の友人にテルした。
こいつは頑張って六大学に入り、応援団の団長までなった男だから、質実剛健を絵に描いた男で、高校時代のチャラ男代表のような俺と仲良かったのが不明なのだが。
昭和の歴史を遡れば遡るほど大学の応援団の厳しさったら半端ない。
かくいう俺の友人も今だから話せる逸話を持っていた。
あいつが一年生の頃だ。六大学野球で、応援団員は一回から試合が終わるまで、ひたすら応援でトイレには行けないそうだ。いわゆるトイレ等の私用は団体活動では禁止らしい。
友人の大学は延長の末、相手校に敗れ神宮球場の外で正座させられていた。クソ暑い最中、学ランを着て革靴に正座。しかも顔中にびっしりと汗をかいている。
試合の後、久々に飯を食う約束をしていた俺は、エン団ってたまんねーな、と思いずっと見ていた。
やっと解散になり、俺を見つけた友人は一目散に走って来た。
「お疲れ……」と口を開いた途端、俺は息を瞬時に止めた。
友人の全身からうんこの臭いが強烈に漂ったからだ。
「悪い、どこかでジーパンとTシャツ買って来てくれ」
そいつ曰く、七回までなんとかしのいだが、とうとう我慢できずに応援しながら垂れ流した状態で声を張り上げていそうだ。
そんな臭い関係だから、奴は俺のことをずっと感謝していた。
また奇遇なことに、そいつの勤務先は北海道拓殖銀行だった。
「就職、決まったよ」
「どこだよ」
「ほくたくって、知ってる?」
「それ銀行じゃねーか」
どうやら部活の顧問が就職先を斡旋しているようで、団長以下四年生連中は、就職活動も一切せずに大手企業の内定を貰っていた。
そりゃまあ、うんこしたズボンで正座もしちゃうくらいの環境に耐えているのだから、そういう忍耐力を評価するのは当たり前なのだろう。
だから四年生連中は「おまえは〇△会社」「おまえはここ」って感じで、好みも志望も関係なく決められるそうだ。
かくゆう俺のうんこ友達も「ほくたく」と言われ、何をやってる会社かも知らずに、
「押忍!」の一言で人生をきめちゃうのであった。
「どうよ、サッポロは?」
そいつは三月の中旬に北海道に行き、一週間研修を受け、既に支店に配属されていた。
「観光なんてしている暇ないよ。覚えること多くて」
朝八時前に出社し、長靴を履き支店の前の雪かきがスタートだそうだ。そして閉店後は残業し、寮に帰るのは深夜というパターン。
「俺も赴任地が札幌なんよ」
「そうか、奇遇だな。赴任したら飯食べよう」
うんこ友達は嬉しそうに話した。きっと既にホームシックかもしれない。
「ところで、すすき野って凄いのか? ディスコはあるのか?」
俺の頭の中には、ネオンきらめく行ったことも無いすすきのが広がっていた。
「おまえ、遊びに来るのか?」
やっぱこいつは、規律正しい応援団のうんこだ。会話に余裕が無い。
ふん、俺はやはりイロモノだな。

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