
受験戦争
1960年代。つまり団塊の世代時に「受験戦争」という言葉が使われるようになった。高学歴高収入、基本的にその考えは今の就職情報を見てもわかるように、高卒、専門学校卒、大卒で初任給が異なってくる。とはいえ、以前よりは学歴不問という仕事が増えているのも事実だ。
1960年代の団塊世代からベビーブーム世代まで、受験戦争かかなり加熱していた。学校での授業は三の次、進学塾での授業や宿題が最優先。代々木ゼミナールなど、全国区で知られる予備校なる存在が祭り上げられ、カリスマ講師的な存在もメディアで取り上げられる時代であった。見た目のインパクトもあった通称金ピカ先生こと佐藤忠志先生(享年68歳)は「全盛期には年収2億円を超えた」と語っていた。
そもそも塾の存在は、学校の授業についていけない生徒のためにスタートしたのだが、いつの日か受験のための存在へと変わっていた。これでは学校の教壇に立っている先生たちの価値が薄れてしまうのではと当時学生だった僕は思ったものであった。
夏季講座の中には、3〜1週間くらいの受験合宿的なものもあり、寝る時間、食べる時間も惜しみ受験勉強のために時間を費やしていた。正月も元旦から予備校に通うのは当たり前。とにかく今苦労して志望大学に入れば、バラ色の人生が待っている、そんな教えてあったように思う。実は僕の父親も国立大学、東京6大学以外は認めないという人であり、それ以外はクソだと言わんばかりの考えであった・笑。
今は高齢化問題が進み大きな社会問題となっているが、つまりその人口の多い世代が当時の受験戦争の世代なのだ。学年でいうと、10クラス前後は当たり前、各クラス40名前後の生徒がいた。しかしながら受け皿となる大学の絶対数が足りていない。そのため、現役では進学できない多くの浪人生という存在がクローズアップされるようになる。また、当時の法律の中で簡単に大学の数を増やせない状況に対し、比較的楽に認可のおりる専門学校が多く設立されるようになった。当時の考えの中では、専門学校は大学に行くことができなかった負け組の学生がいくところという世論の見方があったため、浪人をしてでも大学を目指すという学生は多かった。また専門学校の授業料は決して安くはなかったのも事実である。
また浪人という社会的に中途半端な人生の時間の中で、最初は来年の受験にとやる気に満ち溢れていても、勉強の間のアルバイト、精神的なプレッシャーや取り残されている感覚などにより、目標を見失ってしまう、社会に流されてしまうなどの浪人生も少なくなかった。
当時高校3年生の夏休みにおいては、今から受験勉強してももう手遅れ的な空気が学校にあふれており、12月くらいになると、ピリピリした空気に包まれるといった感じだった。無論、すでに推薦で大学が決まっている生徒たちは受験戦争には直接関係ないものの、共通一次試験(現大学入学共通テスト)や入試テストを目前にしている他の生徒たちを刺激しないように気を使わなくてはならない状況にあったことは言うまでもない。
そしてその状態は学校だけにとどまらず、家庭においても幼い兄弟などがいればテレビを見るのは禁止もしくはボリュームを小さくして観る、笑い声禁止、縁起の悪いもの除外などとにかく悲惨な状態である。(その後、韓国そして現在においては似たような状況が垣間見れている)
それが、当時は当たり前であり、近所に受験生がいると皆大なり小なり気を使っていた時代である。
当然、その世代はこのサイトを見てるユーザーでもある訳で、あの時代から30〜45年くらい過ぎている。
そして今、問いたい。
苦労してバラ色の人生を送ることができましたか?っと・・・。

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