
高齢ドライバー
2019年池袋にて起きた高齢ドライバーによる暴走事故以来、高齢者の運転による交通事故というものが、やたらと取り上げられるようになった。幼い女の子とそのお母さんが亡くなった非常に痛ましく、悲しい事故であるのに、加害者である高齢ドライバーの故飯塚幸三が謝罪どころか、ブレーキとアクセルの踏み間違えを認めず、事故発生直後から批判的な報道も多かった。
この事故を機に、全国では高齢ドライバーの運転免許証の自主返納といった動きも多少なり進んだものの、高齢ドライバーによる交通事故は後を断たない。
ただでさえ少子化という社会問題を抱えている日本において、老人が若者の命を奪ってしまう現状はまさに本末転倒である。未来ある若い世代の命を奪い、先行き短い老人が残る。決してあってはならないことだ。
会においては高齢者が運転しなくても生活できる環境がある程度、整っている。しかし地方においては車がないと生活ができないという理由で運転免許証を返納できない現実もある。地域や地方行政などによるサポート体制を真っ先に考えるが、全国満遍なくそういった高齢者向けのサポートができるかといえば決して簡単ではない。
そうなると自主返納といったあまい考えではなく、強制返納的な法の整備が必要なのではと真剣に思う。
私自身、60歳の還暦に近い年齢ですが、やはり昔のような運転はできない。18歳から40年以上に渡り自動車を所持し、運転しない日はないというくらい毎日車を数時間は運転している。そんな私でも、一時停止のところで、昔なら見切り発進でも、しっかりと左右の安全確認ができたが、今ではどんな時でも確実に止まって、左右をしっかり確認するのに時間がかかる。高齢化と共に反射神経が鈍くなり、さらには老眼というものが追い打ちをかけているのがよくわかる。
そんな私が考えているのは、早かれ遅かれ、今のうちから免許証を返納した時の自分の生活環境を見据えるということ。地方行政や地域サポートだけに頼らず、自身からその時がくる前に、車がなくても生きていける生活環境を築くということです。
高齢者だから我慢して生きていくというのではなく、長年の人生で経験を活かし臨機応変に対応できる環境を年相応にこなしていくということ。食材をはじめ、日常生活に必要なものは、車で行かなくても買いにいける状態にする。車が必要な趣味は、車がなくても対応できるようにする、または車がなくても楽しめる新しい趣味を見つける。地域の人たちとの交流を深め、もちつもたれつの人間関係をしっかりときずいていく。災害などもそうですが、行政などのサポートに頼りきろうとするのではなく、自主的に防災セットなどを用意する姿勢が日本人にはあると思います。それと同じような姿勢を運転免許返納に備えて準備していくという姿勢が大切なのではないでしょうか。
私自身、長年にわたって車を愛し、自宅ガレージにてオイル交換は当たり前、さまざまなパーツの取り付けや修理もおこなっています。ただ今のように10年後に同じ運転ができるかというと、わかりません。できたとしても、70歳からは免許強制返納と法が整備されるのであれば、未練もなくなります。
若者が無理な自動車の運転を起こし、人身事故を起こしてしまうのは、命の尊さや人生経験の浅さというさまざまな浅はかさが若さゆえという風に考えられますが、人生経験が豊富な、命の尊さを理解している高齢者が自分のエゴのために、若い世代の命を奪うというのはやはりあってはならないことだと思います。
高齢者は社会や行政に不平不満を言う前に、自分の襟元は自身で整えるのがよいのではないだろうか。

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