連載小説ブログ「昭和56年」

第三回「社宅は高級住宅街」

研修期間中に、人事部から社宅の連絡が来た。  札幌の宮の森という地名。ワンルームで、〇△宮の森マンションと住所がメモされていた。 「札幌の一番の高級住宅街は、宮の森だよ」  研修中に小樽商科大出身の同期が教えてくれた。   なにっ‼ 高級住宅地!  何でほっきゃーどーなんて地の果てにと落ち込んでいた俺の頭に、一粒の光がともった。  ワンルームで、高級住宅地のマンション……。  ひょっとして俺は期待されているかも。  それが錯覚だったと気づいたのは、着任した初日に総務の先輩に社宅に連れて行かれた時だった。 「ここだよ、社宅は」  笑顔のいかした先輩だった。 「へっ……これ、マンション?」  確かに建物の入り口には「宮の森マンション」と書いてあるが、建物は木造モルタルの二階建て。しかも外壁はひび割れている。  思わず口から出てしまった。 「サッポロはね、木造アパートもみんなマンションって言うのさ」  総務の先輩が、いかした笑顔で教えてくれた。  部屋はギシギシと音を立てる階段を上った二階の奥。しかも四畳半のたったの一間!  そして驚いてしまったのは、部屋にトイレも風呂も無い!  風呂は近所の銭湯でトイレは何と共同便所だった。  地方出身の下宿の大学生じゃあるまいし、風呂桶持って銭湯!  それじゃかぐや姫の神田川じゃねーか!! やっぱり俺はイロモノ・シリーズだ。 総務の先輩は、「キミは最終面接の時、役員に寝るところがあればどこへでも行きますと言ったらしいね。北海道支店にもその話が届いて、頼もしいのが来ると評判だったよ」 そ、それはウソも方便ってやつで……。 「全国転勤があるけど、大丈夫ですか?」と聞かれたからそう返しただけです……。 そういえば、内定貰った石油関係の会社の最終面接の時、「学生時代に何をやったか」と聞かれ、 「格闘技とエッチと読書です」と答えたのを覚えている。  気を引こうとしての発言が、一瞬にして室内を凍らせた。失笑ってやつ……。ところが沢山いる役員の中で色黒のすげーオーラのある方が、笑いながら「いっぱい遊んだようだね」と切り出し、「本はどのくらい読んでるの?」と聞いてきた。 読書量だけは半端の無かったから「年間200冊くらいです」と答えた。 それから「これは読んだ?」「感想は?」といろいろと聞かれ、明確に答えたのを覚えている。 「どうやら読書量はかなりだね。ナンパのこともいろいろ聞きたいが、面白い青年だ」 結局その会社も内定を貰ったが、振り返ってみれば、自らがイロモノ・シリーズを宣伝していたようだった。

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第二回「ほっきゃーどー!?」

全国転勤がありと聞いてはいたが、何と最初の赴任地は北海道だった。 入社式が済むと、最初の赴任地が発表された。同期の半数近くが本社のいろんな各部門で、残りの多くは地域の母店と言われる支店勤務だ。そしてこの俺は、支店の下にぶら下がる「営業所」配属だった。 入社後、損保マンとして本社に勤務し、週末は六本木で遊びまくるという俺の人生設計がもろくも崩れ去った瞬間だった。   俺は自慢じゃないが東京は文京区生まれの文京育ち。但し江戸っ子では無い。江戸っ子の基準は、親子三代神田・日本橋界隈で生まれ育つことが必須と言われている。 三菱地所やら大手デベロッパーが再開発競争をしているから、人の住むところはどんどん無くなり、江戸っ子は将来死語になるだろうな。 高校時代が第二次ディスコブームで、  俺は先輩たちに連れられて、赤坂のMUGENに毎土曜繰り出していた。  懐かしい~!  東京のやんちゃな小僧たちのディスコ・デビューは、こぞって池袋・新宿と決まっていたから、俺は同級生たちに、 「へえ~池袋で踊ってんだ」 「おまえは新宿か?」 「いや、MUGEN」 「新宿にMUGENって、あったっけ?」 「いや、赤坂さ」  この「赤坂さ」という時は、思い切り上から目線で、射貫くように言ったのを覚えている。 「あ か さ か……」こ、こいつ凄いと、口をポカーンと開いていたっけ。    そんな時代の最先端を行っていた俺が、ほっきゃーどー勤務! とは。  ディスコ、あるのかよ?  俺は高校時代の友人にテルした。  こいつは頑張って六大学に入り、応援団の団長までなった男だから、質実剛健を絵に描いた男で、高校時代のチャラ男代表のような俺と仲良かったのが不明なのだが。  昭和の歴史を遡れば遡るほど大学の応援団の厳しさったら半端ない。  かくいう俺の友人も今だから話せる逸話を持っていた。  あいつが一年生の頃だ。六大学野球で、応援団員は一回から試合が終わるまで、ひたすら応援でトイレには行けないそうだ。いわゆるトイレ等の私用は団体活動では禁止らしい。  友人の大学は延長の末、相手校に敗れ神宮球場の外で正座させられていた。クソ暑い最中、学ランを着て革靴に正座。しかも顔中にびっしりと汗をかいている。  試合の後、久々に飯を食う約束をしていた俺は、エン団ってたまんねーな、と思いずっと見ていた。  やっと解散になり、俺を見つけた友人は一目散に走って来た。 「お疲れ……」と口を開いた途端、俺は息を瞬時に止めた。  友人の全身からうんこの臭いが強烈に漂ったからだ。 「悪い、どこかでジーパンとTシャツ買って来てくれ」  そいつ曰く、七回までなんとかしのいだが、とうとう我慢できずに応援しながら垂れ流した状態で声を張り上げていそうだ。    そんな臭い関係だから、奴は俺のことをずっと感謝していた。  また奇遇なことに、そいつの勤務先は北海道拓殖銀行だった。 「就職、決まったよ」 「どこだよ」 「ほくたくって、知ってる?」 「それ銀行じゃねーか」   どうやら部活の顧問が就職先を斡旋しているようで、団長以下四年生連中は、就職活動も一切せずに大手企業の内定を貰っていた。  そりゃまあ、うんこしたズボンで正座もしちゃうくらいの環境に耐えているのだから、そういう忍耐力を評価するのは当たり前なのだろう。  だから四年生連中は「おまえは〇△会社」「おまえはここ」って感じで、好みも志望も関係なく決められるそうだ。  かくゆう俺のうんこ友達も「ほくたく」と言われ、何をやってる会社かも知らずに、 「押忍!」の一言で人生をきめちゃうのであった。 「どうよ、サッポロは?」  そいつは三月の中旬に北海道に行き、一週間研修を受け、既に支店に配属されていた。 「観光なんてしている暇ないよ。覚えること多くて」  朝八時前に出社し、長靴を履き支店の前の雪かきがスタートだそうだ。そして閉店後は残業し、寮に帰るのは深夜というパターン。 「俺も赴任地が札幌なんよ」 「そうか、奇遇だな。赴任したら飯食べよう」  うんこ友達は嬉しそうに話した。きっと既にホームシックかもしれない。 「ところで、すすき野って凄いのか? ディスコはあるのか?」 俺の頭の中には、ネオンきらめく行ったことも無いすすきのが広がっていた。 「おまえ、遊びに来るのか?」  やっぱこいつは、規律正しい応援団のうんこだ。会話に余裕が無い。  ふん、俺はやはりイロモノだな。

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第一回「社会人のはじまり」

昭和56年4月―― 俺は大学を卒業し、新橋に本社がある損害保険会社に入社した。 当時の損保は、ボーナスが年間10ヵ月。6月・12月・3月の年3回の大盤振る舞い! 中堅私大の文系の俺にとって、どうせ営業でモノ売りをやらされるなら、コンドームだろうがロケットだろうが、所詮形が違うだけ。なら年収の高い企業を選択すべしと考えていた。 今と違ってネットなんかないから、企業ブックを片っ端から読み漁り、年収の高い企業ばかり受け続けた。  しかし年収の高い企業は、先物取引か超大手ばかり。両極端なんだよな。  大手の採用は当たり前のように指定校枠があり、最低でも六大学以上かそれに準ずる大学が当時の常識。その上運動部なら文句なし。そうなると埼玉であまり名前の知られていない俺の大学じゃ門前払い間違いなし。  当然、書類選考落ちの、苦戦続き。しかも書類選考結果のたった一枚の通知文書。文末最後に書いてある「貴君のご健勝をお祈りします」ってフレーズには傷ついたもんだ。22年間の自分の人生をたった一枚の紙っぺらで評価される。自分の怠慢を棚に上げ、世間の厳しさを始めて知った瞬間だったのを覚えている。  こりゃいかんと思った俺は、送付する履歴書に手紙を付けたのだ。  当時の学生は、基本的定年までいる永久就職が常識。転職は敗れ去った者という感じだった。永久就職なら、女房を選ぶのと一緒だ。なら俺が如何に有能で、俺を採用しなかったら末後の代までの恥だぞ。そんな感じで人事部宛にラブレターをせっせと書いたのだ。    このラブレター作戦は大成功し、内定は大手3社。 希望通りの損保を選んだ次第だが、後から聞いた話じゃ当時の金融機関は最低「優」が30個以上必要だとか……。 俺は体育を含めたったの3個。同級生たちからは「おまえ良く内定取れたな。コネ!?」と言われる始末。   入社してこれも後から聞いた人事の話。  大手企業の選抜基準は、やはり高偏差値学生と超強力コネで内定が埋まる。何故なら面接で学生を見抜くのは至難の業。ならば偏差値の高い学生を採用していれば、外れても納得するそうだ。そして残りの数人がチャレンジ採用と言われていた。  高偏差値ばかりだと偏るので、変わった学生も採用しようという考えだ。まあこうなるとイロモノ・シリーズの感じがしてしまう。鼻から期待はしていないが、多少期待のイロモノ採用ってやつ。  4月1日入社式は本社の大講堂で行われた。  役員や先般社員達の出迎えの盛大な拍手の中、俺たち新入社員は一礼をして会場に入っていく。この時、俺は見られている感で一杯だった。 100人近く居る新人の同期は、全員ネイビーのスーツに髪は七三分け。爽やかな春を感じさせるライトグレーのスーツは俺一人だけだった。ちなみにこのスーツ、今は無きテイジンメンズショップのものだ。俺が中坊の頃は、銀座テイメンはトラッド嗜好の連中に取って日本の総本山的な位置づけだった。 https://www.fashionsnap.com/article/2021-02-25/teijinmensshop-close しかも入社する直前までグアムに行っていたものだから、顔は真っ黒の上、ニグロパーマのショートヘア。 「なんだ! あの新入社員は!?」と、目は口ほどにモノを言っていた。 入社式が終わり研修所に入り、名簿が渡された。 名前の横に出身大学名が書いてある。やっぱ金融機関だなあとつくづく思い読んだのを覚えている。そしてふと思ったのは、よく内定貰えたもんだ……。 入社して気づいたイロモノ採用。 学生時代イケイケの俺にとって、初めて世間の現実というものを感じた瞬間だった。 その夜、研修所のベッドに横になり、ソニーのウォークマンを手にした。 https://www.butsuyoku.net/legend/tps-l2  シャネルズの街角トワイライトをしみじみ聞いたのを覚えている。 https://www.youtube.com/watch?v=nxTKkBpXFTc  ホールドミータイト~♪♪  まあ、何とかなるだろう。こうなりゃイロモノでいってやる!  俺は超楽天主義なのだ。